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カルピンはエストニア出身だけど、ロシア代表を選択?

a0031888_125417.jpgエストニアのナルヴァ、タリン出身

ロシア代表の不動のライト

 セルタにおけるモストヴォイの相方ということで、日本でも比較的知られているロシア選手の一人だろう。そして代表チームにおける重要性でも、決してモストヴォイに劣るものではない。代表のライトウィングが長きに渡って安定しているのは、この人のおかげなのである。


 カルピンが生まれたのはエストニア東部の町・ナルヴァ。その昔、ピョートル大帝がスウェーデン軍を相手に大敗を喫した土地として、ロシア史に詳しい人なら知っているかもしれない。今でも家族はそこに住んでいて、3月にロシア代表がタリンでエストニア代表と親善試合を行ったとき、母親と妹(この2人はエストニア国籍である)、それに80歳になる祖母はカルピンに会いに来ている。自らもタリンのチームでサッカー人生をスタートさせたカルピンがロシア代表でプレーしているのは、ひとえにソヴィエト連邦のおかげなのである。
 そのソ連が崩壊するころ、カルピンはモスクワのスパルタークにいた。つまり、彼もまた多くの代表ベテラン陣と同じく「ロマンツェフ・ファミリー」つまりスパルターク経験者である。ただし、カルピンのスパルターク期は90年から94年であるのに対し、将来の相棒となるモストヴォイは87~91年所属で、2人がスパルタークにいた時期はあまり重なっていないのが面白い。その後、スペインで数チームを転戦したカルピンは97年にセルタ入りし、前年からこのチームに来ていたモストヴォイと「落ち合った」わけである。
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by fishhoek | 2004-06-30 12:55

ジョルカエフの祖父はアルメニアからフランスまでとぼとぼ歩いてきたが。。

a0031888_12499.jpgジョルカエフ(サッカー・フランス代表FW)

FWのジョルカエフはアルメニア系であり、1998年ワールドカップ・フランス大会で優勝した時、シラク大統領は予定されているアルメニア訪問にジョルカエフを同行させると発表したのだ。
ジョルカエフは、自分の祖父はアルメニアからフランスまでとぼとぼ歩いてきたが、自分は大統領の専用機でアルメニアに帰るのだ、と喜んでいたそうだ。
ジョルカエフの祖父がいつごろフランスに来たかわからないが、それは苦難の旅であったにちがいない。そして全世界の人々が、けっして忘れてはならない悲劇がそこにあったはずだ。
『毎日新聞1998年8月16日朝刊』(陳舜臣「時代の風」)より抜粋

アルメニア Armenia
西アジア、ザカフカス地方の共和国。正式国名はアルメニア共和国。グルジア、アゼルバイジャン、イラン、トルコと国境を接する。南西部にはアゼルバイジャンの飛び地ナヒチェバン自治共和国がある。かつてはアルメニア・ソビエト社会主義共和国として、ソビエト連邦に属していたが、1991年9月に独立した。面積は約2万9800km2。人口は376万人(1995年推計)。首都は最大都市のエレバン。

アルメニア語が公用語で、インド・ヨーロッパ語族に属し、独自の38のアルファベットをもつ。ロシア語も広く使用される。宗教はキリスト教が大半を占め、アルメニア人の間ではアルメニア教会がもっとも一般的である。東方正教会やイスラム教シーア派の信者もいる。

アルメニアは外国勢力の支配下でしばしば過酷な扱いをうけた。11世紀にはセルジューク朝トルコの侵略によって、はじめてアルメニア人の大規模な移住がおこなわれた。その後もアルメニア人の移住はつづき、とくに19世紀末にはトルコやロシアの政府に対して政治改革をもとめる運動が高まったことから迫害された。1894~96年には何十万ものアルメニア人がトルコ軍に虐殺されている。ロシア政府はトルコほどは抑圧的ではなかったが、アルメニア人の学校を閉鎖し、教会の資産没収を命じた。
20世紀にはいると、青年トルコ党時代のトルコがアルメニア人をメソポタミアに移住させようとくわだてた。このときさらに大規模な虐殺が発生し、1915~23年に100万人以上が死亡した。
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by fishhoek | 2004-06-30 12:50

98年フランス代表は軍隊同様 外人部隊?

a0031888_124351.jpgプラティ二の頃のフランス代表と異なり、
地元W杯以降のフランスは、多国籍軍と揶揄されるほど
世界中から、選手が集まっている。
これら、肉体的強さと、ハングリーさを兼ね備えた選手を
独自の教育システム(アカデミー)で強化している。
ちなみに、98年フランス代表の出身について調べてみた。


デサイー・・・アフリカ
デシャン・・・スペイン・バスク地方
リザラズ・・・スペイン・バスク地方
ジョルカエフ・・・旧ソ連・アルメニア系
ボゴシアン・・・旧ソ連・アルメニア系
※ジョルカエフとボゴシアンは、アルメニアの名誉市民賞を受賞。

チュラム・・・西インド諸島
カランブー・・・ニューカレドニア生まれ。フランスが核実験を強行したときには、代表入りを拒否したことも。
ジダン・・・アルジェリア。両親がアルジェリア移民。
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by fishhoek | 2004-06-30 12:45

レコバは中国系? あだ名はチーノ(中国人の意味)

a0031888_123718.jpgウルグアイの至宝レコバは、白人比率が90%以上の
ウルグアイ、アルゼンチンの中でも、
顔だけで言ったら、得意な存在と言える。
アジア系のインディオの血が多少入っているとしか思えない、顔立ちである。

ちなみに、あだ名は
チーノ(中国人という意味)目鼻立ちが中国人っぽいかららしい

名前 アルヴァロ・レコバ(Alvaro Recoba)
身長・体重 173センチ・68キロ
国籍 ウルグアイ・モンテビデオ出身
生年月日 1976年3月17日
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by fishhoek | 2004-06-30 12:38

ストイコビッチはセルビア人

a0031888_123549.jpgストイコビッチはセルビア人。
彼の華麗なプレーは、枚挙にいとまがない。

南スラブ系民族は、体躯が強靭で運動能力の極めて優れた民族である。
サッカーでは、「ヨーロッパの南米」といわれるほど、テクニックに優れた
選手を数多く輩出している。また、バレーボールなども強い。

格闘技においても、ミルコクロコップに代表されるような、肉体的、精神的強さを
兼ね備えている。
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by fishhoek | 2004-06-30 12:37

ライカールトもスリナム

a0031888_15411.jpg1975年11月25日のスリナム独立により、何千ものスリナム人がオランダに移住する。それでも1998年の統計でスリナム系住民は全人口の1.87%に過ぎないという。
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by fishhoek | 2004-06-28 15:05

フリットはインド人?

a0031888_1520.jpgスリナム人の父親と、オランダ人の母親の間に生まれる。

スリナムはオランダ領だったが、インド人が労働力として数多く連れてこられたので、
フリットにはインド人の血が流れているといえる。
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by fishhoek | 2004-06-28 15:02

ジダンは北アフリカの先住民族ベルベル人の血を引く?

a0031888_145710.jpg現在のサッカー界のスーパースター
ジネディ-ヌ・ジダンのル-ツ

ジダンの両親はアルジェリア人でカビリ-地方(北アフリカの先住民族ベルベル人の集住地域)の出身です。
1962年のアルジェリア独立までアルジェリアがフランスの海外県(すなわちフランスの一部)であったため、フランスにはアルジェリア移民が多い。

ジダンはベルベル人の血を受け継いでいるのか。
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by fishhoek | 2004-06-28 14:58